移住夫婦のプロフィール

プロフィール

 

私たち、移住夫婦について

東京から、8世帯13人の限界集落へ移住

私たち移住夫婦は30代、娘一人の3人家族です。

元々、お互いに関東で生まれ育ち(それぞれ東京、埼玉)、田舎や地方にはほとんど関わりがありませんでした。

 

都会での暮らし、都会での仕事を通じる中で、それぞれの経緯で地方移住・地方転職に興味を持ちました。

迷いもたくさんありましたが、夫婦での地方移住・地方転職を果たします。

 

移住先は人口数千人の小さな町。

住んでいるのは、たった8世帯・13人が住む地区。

0歳~60歳までが一人しかいない(あとは皆さん60歳以上!)、限界集落でした。

 

人口約1400万人の東京から、8世帯の限界集落へ。

両極端を体感している私たちだからこそ見えてきたもの、感じたことを発信しています。

 

それぞれの経歴

夫・ワッフルの経歴

東京生まれ東京育ち。東証一部上場化学メーカーで営業・営業戦略を担当後、某大手広告会社へ転職。マーケティングを担当し、マーケターとしてのキャリアへ転向。次第に、資本主義が行き過ぎた東京に未来が見えなくなり、人口数千人の小さな町へ移住する。まちづくりや地方創生に広くかかわり、田舎ベンチャーの取締役に就任。社員数1万人超えの大企業から数人のベンチャーまで幅広く経験し、現在はスタートアップでCMOをやりながら、個人事業でもマーケティング支援に従事。
約10年のマーケティング実務経験で”これはよく使う!”と感じたマーケティングナレッジを発信していきます。趣味はダンスと絵を描くこと(このアイコンも自筆)。春・秋・冬はもっぱらニット帽をかぶっている。

妻・みかんの経歴

埼玉県生まれ。モンテッソーリの幼稚園へ通い、小中学校は地元の公立へ。高校は私立女子高へ進学。大学では教育学を学んだ。卒業後は幼稚園教諭となり4年の経験を経て、シンガポールの日本人向け幼稚園へ転職。2年の海外生活の後、夫・ワッフルとの結婚を機に日本へ帰国。帰国後は個人事業主としてベビーシッターをしながら、ベンチャー企業の人事を担当。帰国後1年で、縁もゆかりもない地方に移住する。「当たって砕けろ」「猪突猛進」な性格で、何事もとりあえずやってみたいタイプ。

地方移住・地方転職に至った経緯

ワッフルの経緯

新卒で化学メーカーへ

父親は地方出身でしたが、僕自身は東京生まれの東京育ち。

地方とのかかわりはほとんどなく、ずっと東京で暮らしていくものと思っていました。

 

東京の大学を卒業後、新卒で化学メーカーに入社。北から南まで国内全国の営業と東アジア・東南アジアの海外営業を経験。

しかし、あまりにも接待や飲み会が苦手すぎて、本当に営業に向いていないと感じる日々でした。

 

その後、営業戦略を担当することになり、顧客データの分析や顧客の構造化の考え方を習得。

営業そのものよりも、どの顧客に対してどのようにアプローチするかを考えること(いわゆるマーケティングに近い仕事)の方が自分には向いていると気付いたのでした。

 

某大手広告会社へ転職、資本主義にさらされる

化学メーカーを退職後、某大手広告会社へ転職し、マーケティング・コンサルティング営業を担当。

本当に優秀な人たちに囲まれ、たくさんの学び・スキルを得られる刺激的な毎日でした。

 

一方で、クライアント同士の強い競争・競合意識、高い数字目標などにさらされる日々の中で、この資本主義が行きついた先に幸せな未来はあるのだろうか・・・?と疑問に感じ始めたのです。

 

次第に、「共創社会」「足るを知る」という概念、「ティール組織」などに興味を持つようになりました。

 

町づくりや地方創生にかかわるために地方転職を決意

もっと社会的意義のある仕事をしたい!と思い始めていた頃、ひょんなことから田舎でベンチャー企業を経営している経営者の方との接点ができました。

 

話を聞く中で感じる地方創生の可能性、町づくりの面白さ。

「競争」ではなく「共創」という考え方。

 

地方でこそ意義のある仕事・面白い仕事ができると確信した僕は、地方移住・地方転職を決意したのでした。

 

地方転職→地方からのフルリモートワークへ

田舎ベンチャーにて取締役として数年勤務後、フルリモートのマーケターに転向。

スタートアップのCMOとして社会課題に向き合う仕事をしながら、個人事業でもマーケティング支援を行っています。

地方在住のまま田舎暮らしを楽しみながらキャリアも築いていく、という両輪をさらに磨き上げていくことを目指しています。

 

みかんの経緯

新卒で幼稚園教諭を経験。その後、シンガポールへ

大学卒業後、新卒で幼稚園教諭として就職しました。

4年間の経験を元に新しいことへの挑戦意欲がふつふつと湧き、転職活動をはじめました。

一般企業への転職も考えましたが、自分にとっての転職である幼稚園教諭のまま、環境を思い切り変えてみることにしました。

そしてシンガポールの日本人向けの幼稚園へ転職。

2年間のシンガポール生活を経験しました。

 

海外から日本へ帰国

日本に帰国後は神奈川県民となり、個人事業主としてベビーシッターをしながら、ベンチャー企業の採用人事を担当。

初めての「会社」でのお仕事はとても楽しく、新たな学びばかりで充実していました。

しかし、駅から会社までの電車がとにかく混む。

 

海外生活での安いタクシー生活に慣れてしまっていたので、とにかく満員電車がストレスで仕方ありませんでした。それになんだか皆すごくせかせかして、生きづらそう・・というか私自身がとても生きづらい・・

いつかまた海外、もしくは関東以外の自然豊かな場所に住みたいなぁと帰国早々から考えていました。

 

迷いも生まれた夫婦での地方移住

メリデメ分析で整理

メリデメ分析とは、言い換えると「利点(メリット)と欠点(デメリット)を洗い出す」作業になります。

 

私たち夫婦も移住を考え始めたものの、「迷うことなんてない!行け行け!」という攻めの自分と「いや、、でも、今までの生活を全て捨てるなんて怖い・・」という守りの自分のせめぎあいで、なかなか結論に至りませんでした。

そこでお互いに「移住のメリット・デメリット」を書き出して整理してみることにしました。

 

ロジックを超えて・・・

驚くことに、両者とも決定的なメリットやデメリットが「ない」という結果に。

むしろ「関東を離れることのメリットが少ない」ということにも気付いたのです。

 

夫婦ともどもここでとても悩みました。

しかし、「じゃあ、このまま二人で関東に住もう!」という選択をとった自分を想像すると、とてもモヤモヤするのです。

 

悩んで、悩んで、悩み抜いて出した答えは、

「これは論理的思考では決められない」

「死ぬときに、どちらを選んだ人生ならやりきった!と思えるだろうか?」

「選択せずに後悔しない方にしよう!」

ということでした。

 

最終的には、自分たちの心の声に従い、自分たちが「歳を取って、死ぬ直前の姿」をイメージしたうえで、感覚で判断しました。

このタイミングで地方移住し、挑戦した方が死ぬ直前にやり切った!と思えるだろうと感じたため、移住することを選んだのでした。

 

「夫婦移住ノート」について

そんな経緯で生まれてから約30年を過ごした関東を離れ、田舎に移住した夫婦が綴る「夫婦移住ノート」。

  • 地方で暮らしながらキャリアも諦めない具体的な方法
  • 地方移住後に待っているキャリア
  • 移住後の日常生活・地方の暮らし

などのお役立ち情報を発信していきます。

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